徒然なるままに………花伝の日々より

藤の花

2019-04-17

植樹して

今年で20年に

なります。

毎年

初夏に美しく彩ってくれます。

#藤の花#熊ん蜂#ギャラリー花伝

 

新春を寿ぐ

2019-01-03

大晦日に寄せて

2018-12-31

*******
今年もあと1日なりました。

庭先で森を眺め
この一年を振りかえりながら
お世話になった皆様のお顔が
浮かんできます🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲
https://kaden-style.themedia.jp/posts/5485053

感謝と感動そして
素晴らしい出逢いが続いた
2018年

来年も丁寧に幸せに
一歩一歩歩いていきたいと
深呼吸🌿🌿❣️

皆さま
大変お世話になりました❣️
お陰様で無事本本年を
終えようとしています。

来る年もどうぞよろしく
お願いいたします❣️

お健やかに佳き新年を
お迎えくださいね🌅


#有田#ギャラリー花伝#幸せ時間#小さな幸せさがし#食茶空間コーディネート #蒲地亜希子

明治伊万里里帰り品

2018-12-28

 

明治初頭は「花は桜木人は武士」という

物語が日本を売り込む象徴的な

イメージ戦略になった。


この類例はジャポニスムに精神性が

織り込まれた証左ではないだろうか。

潔さ、儚さ、もののあわれを物語る格好の

題材であった。


このティーセットの組み合わせは

イギリスのビィクトリア時代に流行り、

キャバレーセットと呼称された。


有田の深川家(後の香蘭社)の情報収集能力は

他に先んじていたのかも知れない。


マーケティングなどと

洒落た言葉もなかった時代である。


当時のロイヤルミント社のカメオのキャバレーセットも素晴らしいが、

この深川製のものは、やはり彼の地の人にとっても味わい深く、こよなく愛されたに違いない。 

お久しぶりです

2018-09-15

お久しぶりです

暑かった夏も過ぎ

秋の訪れです。

ギャラリー花伝にも

秋の彩り

今後ともよろしくお願いいたします

四季の味

2018-09-14

 

私の愛読書
季刊誌「四季の味」
が届きました。

ご縁を大切に
いつも長年こうして
変わらぬお心を
懸けていただき毎号
届けていただいています。

編集長私市登志子さんが手がけられる「四季の味」はどのページもすばらしく、有田にいらした時のチャーミングな
登志子さんを想い出しながら、
感謝しつつ
読ませていただいて
います❣

特に今回私が
魅かれたのは「プレートに盛る家ご飯」

忙しい方々におススメしている方法だからです^_^

やはり素敵な本は中 内容が充実していますし
ファンが長く愛読される理由がわかりますね❣


登志子さん いつもありがとうございます❤

#四季の味料理#プレートごはん #おうちごはん#暮らしを楽しむ #蒲地亜希子#花伝塾#器好きな人と繋がりたい #器好き @ ギャラリー花伝

 

花伝塾

2015-09-05

 

あっという間に夏から秋へ

日本には自然が織りなす四季があります。

自然界は本当にびっくりする位

移ろう四季を美しく確実に映し出しますね。

 

8月はセミナーもすべて休講しましたが、

今月から又再開です。

皆様にお逢いできることを楽しみにしています。

今月は重陽の節句についての講義も入ります。

 

家庭画報の通販カタログに私共が企画制作した生前骨壺が掲載されました。

2015-08-28
家庭画報ではこれで三回目ですが、お陰様で実績を重ねています。 骨壺の選択は既存の業者のカタログから遺族にゆだねられていることが一般的でしたが、徐々に生前から準備される方が増えてまいりました。 生前は衣食住にそれなりのこだわりや美意識をお持ちになられている方々が何故、終の棲家である骨壺に関心が寄せられないか不思議でなりませんでした。 しかし、当方が生前骨壺をメディアに発表してからは、有田の各お店でも販売コーナーに骨壺が陳列さるようになりました。IMG_3494 IMG_3496  

『メメント・モリ寿壺』いうネーミングは如何であろう。

2015-08-28
メメント・モリという古代ローマで挨拶代わりに交わされた言葉は「死を忘れちゃいかんよ!」という意味です。 「メメント・モリ腕時計」が開発された『寿命まであと何秒!』。 http://wired.jp/2013/12/02/tikker/

明治伊万里のネーミングに拘る訳は・・・。

2015-08-28
明治伊万里の成長と云うか進化は、海外市場での優位性を求めていかに輸出振興に寄与するか時代の要請でもあった。明治新政府は殖産興業を推進して国内産業の近代化を推し進めると同時に外貨獲得のために輸出振興策を図った。 17世紀の古伊万里や柿右衛門様式がオランダ連合東インド会社による輸出によってその知名度は欧州を席巻していて、幕末にパリで開催された万国博覧会でも有田焼は伊万里のネーミングで好評を博した。 市場が海外であり続けたことが図案の改良にもつながり、万国博覧会が国威の発揚であり、外貨の獲得のために技術の向上と精神の昂揚が巨器制作や精巧精緻な細工や絵付けに現出されたのである。 磁器の素材として有田の泉山産出の陶石を原料に、西洋の原料や技術の導入もすべては海外市場での成功を夢見たものであった。 有田という地名は存在したものの、陶磁器の産地表示としては市場には浸透していなかった。 明治30年に鉄道が開設され、伊万里港からの海上輸送から有田駅から貨車輸送に代わって有田焼のネーミングが広がり始めた。しかし、これはまだ国内市場向けであり、海外に輸出された明治期特有の様式美を有したものはやはり江戸期の延長線上にある伊万里であった。 また、陶磁器原料も明治30年代までは泉山の原料に拘泥していただけにそれらの背景を考慮すれば『明治伊万里』に多くの要素が含まれるのである。 したがって、筆者は今まで通りに、とりわけ輸出に供せられたものに関しては明治伊万里を適用したいと考える。IMG_2528色絵綱渡り人物文楕円皿 田代商会製 幕末~明治初期 « Older Entries
Copyright(c) 2013 花伝シンフォニー All Rights Reserved.