呉須赤絵

呉須赤絵について                     肥前有田焼 花伝作

わが国において初めて焼かれた陶磁器は古伊万里とも呼ばれた有田焼です。


豊臣秀吉の文禄慶長の朝鮮侵攻により連れ帰った陶工により原料である白磁鉱が発見され製陶の嚆矢となりました。


その後、飛躍的に発展する有田焼の製陶技術や様式美或いは装飾に必要な原材料などは中國からの伝達であることが近年明確になってまいりました。

とりわけ、華やかな装飾である色絵の源流は世界の陶磁器のメッカ、景徳鎮やその影響を受けた福建省の漳州窯等の諸窯の影響が強く反映しています。

この伝達に日本人の母を持つ平戸で生まれ、その後中国に渡り「抗清復明」の旗を掲げて勇戦奮闘しました。

又台湾でもオランダ支配を解放した英雄、鄭成功が関わっていました。

その頃、有田焼が手本にしたのが呉須赤絵でした。


今日でもこの様式美の華やかな色遣い、奔放な筆致は人口に膾炙する傑作であり、

有田の源流を想起しながら復刻を手がけました。


鄭成功と云えば近松門左衛門の国性爺合戦です。壮大なロマンと併せ、

手造り手描きのこの度の創作を愛玩いただければ幸甚です。


画像は本歌の呉須赤絵です。ーギャラリー花伝庵主 蒲地孝典記ー