東西古今とは~☆

社名の由来をよく尋ねられます。 明治期、郷土の先覚者を七人挙げて、佐賀の七賢人と称されています。 すなわち、鍋島直正(閑叟)、大隈重信、江藤新平、副島種臣、大木喬任、佐野常民、 島義勇です。 有田焼は鍋島藩の殖産興業として貴重な財源でした。有田焼は藩主・直正公はじめ、 大隈、副島、江藤等と密接な関わりを窺うことができます。 慶応三年のパリ万博での有田焼は欧州のジャポニスム(日本趣味)に火をつけました。 この時の団長は佐野でした。維新後初めて、新政府が公式に参加した万国博覧会は明治6年のオー ストリア・ウィーンでの開催でした。 本国にあって総裁を務めたのは大隈重信であり、派遣された佐野 が副総裁でした。 その後も、両者は何かと有田焼の発展を支援しました。 大隈重信は明治十四年の政変によって失脚して下野します。そして、現在の早稲田大学の前身、 東京専門学校を明治十五年、創立しました。 学問の独立と進取の精神を標榜し、また今日的、 大きな課題である「東西文明の調和」を説いたのです。 作詩は相馬御風ですが、母校早稲田大学の校歌の2番にこの精神を高らかに謳っています。 ♪東西古今の文化の潮(http://www.exblog.jp/うしお)、ひとつに渦巻く大島国の大なる使命を担いて立る、、、、♪ 冒頭の東西古今を頂戴して、社名にさせていただきました。 東西文化の融合、温故知新の理想を掲げた小なりといえども水晶のような会社です。 どうぞ今後とも御高配を賜りますようによろしくお願い申し上げます。 蒲地孝典ブログより image