明治伊万里

明治伊万里とは。。。 有田焼は一言でいえば様式美の世界です。 有名なのは江戸期の古伊万里、柿右衛門、鍋島の三大様式です。 明治伊万里とは文字通り明治期に造られた有田焼を指します。 とりわけ、ここで特筆するのは、明治期に製造された有田焼の中でも、 殖産興業のために輸出された有田焼を独立した様式美として評価したことです。 有田は江戸期、文政11年(1827)に大火に見舞われ、蓄積された技術や様式、或いは 人材が失われ、生産や品質の劣化に陥りました。 しかし40年後、復活のきっかけになったのは慶応三年(1867)のパリの万国博覧会でした。 ジャポニスムのブームも追い風になり、以降約十年間は日本の伝統的な工芸品が有力な輸出品として脚光を浴びました。明治新政府は外貨を獲得するために、万国博覧会へ出品して輸出振興を図りました。万博に出品することは、世界の市場での競争にさらされ、有田焼の品質の向上にもつながりました。 図案の改良改善も行われ、古代の仏教美術を工芸用にアレンジしたものが考案され品格を増していきました。 また、窯や原料が創意工夫され、製造そのものも近代化されて洗練度を増し、やがて幾度となく開催された万国博覧会で西洋の名窯を凌駕するまでになりました。 伝統美術に固執するだけでなく、アールヌーボなど西洋の様式と融合するような製品も生まれ、明治期の固有の様式美が確立されました。 明治伊万里は初期、中期、後期と変遷していく過程に技術や様式美が海外との交流によって進化していき、近代の窯業史に燦然と輝く足跡を残しました。 明治伊万里研究家 蒲地孝典記   image image                                                                            著書  【幻の明治伊万里】日本経済新聞社刊 —————————————————————————————————————-– 18世紀マイセン焼など世界の名窯に影響を与えた有田焼は歴史を重ね 日本の独特の美へと進化していきます。 明治初期から中期ヨーロッパに沢山の有田焼が輸出され、 パリ万博では金賞を受賞するなど、その美しさには世界中が絶賛。 又ガラス作家で有名なエミールガレや銀製品のティファニーなど多くの芸術家達にも 多大な影響を与えています。 今から100年以上も前にこのようなすばらしい有田焼が、 鉄道も通っていない田舎町であった有田からヨーロッパに渡っていきます。 ヨーロッパ王侯貴族の垂涎の的になり、又多くの芸術家達に多大な影響を与えた有田焼・・・ そのすばらしさには本当に感動しますね♪まさに絵画の世界です。 今でも世界中の宮殿には ARITA が飾ってありますが、洋の空間に有田焼の存在は何とも言えない重厚感と存在感を醸し出しています。 匠の技   NHK http://www.youtube.com/watch?v=QITdjlQAD4M%E5%8C%A0   image

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                                                                                   室内に飾られた明治伊万里 テーブルコーディネートは明治伊万里復刻皿を使っています。 ー     コーディネート   蒲地あき子   ー  

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