インテリア寿壷の誕生

インテリア寿壺 「よみがえる日本の美」をテーマに掲げて、用と美を兼ね備えた有田焼の”インテリア寿壷”を企画開発しました。蓋は太陽と月をイメージして、二段のつまみにも見える独特な形状です。全体的にあしらわれた文様は明治伊万里から採用しました。 明治期の多彩で繊細な有田焼の様式美は第四の伊万里と云われるぐらいに、日本美を格調高くまとめたものであり、輸出用であったが為にその知られざる魅力は斬新です。 和洋のたたずまいに鑑賞用として、ある時は花を活け、またある時はワインクーラーや貴重品入れにご利用いただき、日常茶飯事楽しんで頂けることでしょう。 そして、この外蓋付きの壷が”永久ノ棲’として、生前の持ち主の愛着が込められたまま後世に伝えられれば幸いに存じます。 「幻の明治伊万里 悲劇の精磁会社」著者 花伝山房主人敬白 image オンラインショップに全商品ご紹介させていただいています。 日本画を工芸用の意匠に構成し直した秀作です。「蒔絵」のような柳の幹やツバメの金彩に対して、「水墨画」のような薄墨で枝葉を描くメリハリの付け方が実に巧妙です。 一周する画面の展開も、今日ではこれほど周到な図案は見られません。明治初期の傾向である和洋の絵の具を併用しているところにも、当時の意欲的な創意工夫が窺われます。雅にして尚、品格を湛えた図案にどこか癒されます。丁寧な高台の仕上げは鋳込み細工職人のこだわりです。 獅子頭は辟邪といって邪霊から保護する目的で付けられています。胴を巻く地紋は有職文様です。奈良・平安時代から宮中での装束に用いられた意匠です。明治期、宮内省御用達として宮中晩餐会や鹿鳴館でも使用された「精磁会社」製の文様をあしらいました。明治伊万里の美の世界は、第4の伊万里と云われるぐらいに個性的であり、しかも品格を湛え、高い評価を得て再認識されています。「精磁会社」は、明治中期、約10年間しか存在しなかった幻の名窯です。 獅子頭は辟邪といって邪霊から保護する目的で付けられています。ニ方を木甲割にして表柄に吉祥文である松竹梅、裏柄には百花の王である牡丹をあしらいました。蓋には古代から信仰の対象として崇められ、日本一の標高を誇る秀麗なる富士山を配しました。全体を埋める唐草文様は高貴な有職文様です。明治期、宮内省御用達としての品格ある唐草の意匠に矜持を覚えます。 image 日本人の美意識を雪、月、花に込めた水墨画風の意匠です。幕末から明治初期の伊万里の「扇面型四段重」にあしらわれていた意匠を転用しました。浦の苫屋の雁行や網干。滝から水が流れ落ち川となり海に注ぐ様。その間、朋友を庵へ訪ねて、橋を渡るひと、筏をこぐひと。雪が降り積もった松柏と、親子の鶴は吉祥を表しています。背景は繊細に描かれた菊花に、高水準の蛸唐草で埋め尽くされています。「翁(おきな)草」、「千代見草」は菊の別称で長寿や若さの願いが込められています。時代は後になりますが明治の巨匠の作品にある『生々  オンラインショップに全商品ご紹介させていただいています。流転』のような枯淡な境地を想起こさせま  オンラインショップに全商品ご紹介させていただいています。す。丁寧な細工、繊細な運筆、呉須の濃淡にも、染付の「インテリア・寿壷」としては類例を見ない格調高い仕上がりです。
“明治伊万里”とは有田焼は十七世紀、わが国で最初に焼かれた陶磁器です。江戸時代は欧州へ輸出され王侯貴族を魅了しました。その後、貿易は一時衰退しましたが、募未・慶応三年のパリの万国博覧会へ出品された有田焼はジャポニスムのブームにも乗って反響を呼び、輸出品として見直されます。殖産興業の花形産業として政府からも奨励されました。海外で開催された万国博覧会には、国家の威信と外貨獲得のために日本の優れた伝統美を基本に洗練された伝統工芸品が開発され、出品された製品は脚光を浴び、高い評価を得ました。四季折々をテーマにした日本の伝統美は日本画に集約されますが、明治の伊万里はそれらを工芸用に図案化して精美な製品に仕立て直しました。多彩な取り合わせの良い色遣い、繊細な運筆、西洋的な造形美との融合など、江戸期にはなかった清新な気風や美意識が込められた新しい様式美が確立しました。窯業の近代化と高いレベルの伝統技術が職人の分業によって驚くべき巨大な器物や細密華麗な陶磁器が現出しました。明治の近代化が各方面で大きな成果を生んだことは、上も下もなく粒々辛苦した結果、無私の傑作とも云えます。必死で西洋諸国に追いつき追い越していく、凄まじい魂の躍動が工芸品にも乗り移ったものであると確信するものです。そのような明治伊万里は日本人の心の故郷でもあると云えるのではないでしょうか。